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【12】 § 寝取られ性癖 §

2008/04/09 07:38
寝取られマゾ
寝取られ(ねとられ)とは、原義的には、自分の恋人や配偶者が自分以外と性的関係になることである。その後、そのような状況に興奮する性的嗜好、その嗜好を持つ人、その嗜好と関係の深い表現物や文化なども指すようになった。後述する鹿島茂や亀山早苗らの著書によると、このような嗜好を持つのは男性が多いという。

束紗。さんにコメントを頂いた事もあり、丁度 束紗さんのブログ記事が「寝取られM男性」に関する内容でしたので、寝取られ性癖のある私としてもテーマとして取り上げてみたいと思い記事にしました。

 ・この記事公開後、Aikoさんのブログでも『寝取られ・三部作』が公開されました。


さて『 寝取られ 』と聞くと世間的にはマゾ男のイメージが強いのかもしれません。
実際知り合いの寝取られ性癖の男性には、マゾ性癖が顕著に表れ、そのパートナー自体にさえバカにされ、”浮気されること ”に快感を覚えるご亭主も存在します。


つまり妻のセフレ公認、浮気公認であり、更に凄いことに、その行為を終えた妻が帰宅すると、妻に中出しされた精液をすするのが一番の楽しみというご主人もいらっしゃいました。

一般的な男性ならこの話しを聞いて信じられないでしょうし、理解も出来ないと思いますが、実社会でマイノリティだと思われる「寝取られ」も、一端、ネットの匿名性の元では、それを願望し、望んでいる夫が多い事に驚きます。しかし現実的に” それ ”を実行できる男性、夫は限られていますし、ありきたりなセックスの刺激に満足出来ない妄想部分での願望として「寝取られ」を想像する男性も多いのも確かです。


しかしながら何十年もの間、3~4千円もする(スワップ)交際誌が発行され続け、その読者が定着している事を見ても、実際に妻や恋人を寝取られ、また寝取らせる事をしている男性はいるわけです。世間的に有名になったのは「ロス疑惑」の三浦氏が夫妻でスワップパーティーに参加している写真を写真誌で公開された事が、スワップという世界を世に知らしめた一件にもなったと思います。


パートナーを他人に委ねる事。その精神的な部分を見ずして行為だけを語れば、「寝取られ」以外の何者でもないでしょう。また、愛するものを奪われる弱い男をイメージしがちだと思います。実際マゾ性癖の元に、自分の立場を貶める行為として「寝取られる」男性もいらっしゃいますし、「貸し出し」という言葉も存在します。
でも…世の多くの実践カップルは、そんなイメージには当てはませないケースが殆どです。


実際、今まで何組ものスワップや3P、複数を実践されているご夫婦に出会いましたが、その殆どが「寝取られる」側の男性にマゾ性癖はなく、かといってサド性癖な訳でもありません。それは純粋にパートナーとの愛情を高める行為として行われるだけで、二人だけで行うセックスやSM行為、その他、あらゆる行為となんら変わりはないものと感じます。


逆に言えば、単なる1対1の恋愛や婚外、その人間関係で見る愛情より、深いものさえ見ていて感じることがあります。

勿論、それが普通より優れていると言う断言はしませんが、とかく1対1の関係は、自分がいかに愛され思われているかを気にし、時として相手を縛り付ける行為を行うケースが少なくないと思います。ある意味嫉妬は、自分の思い通りにならない欲求への不満であり、それを愛情表現と錯覚しがちではないでしょうか。

その点、寝取られ夫。夫婦の場合、セックスにおいても相手の行為を許し、その行為自体でパートナーが更なる快楽の世界を知る事へ喜びを感じる性癖だと思います。ハッキリ言えることは「寝取られマゾ」は多分に自分の性的欲求を満たす精神的興奮が含まれる事が多く感じますが、スワップ等楽しまれているご夫婦は、相手ありき。相手がそれにより楽しむ事が自分の快楽。幸せになることです。これはセックスに限らず、日常生活においてもパートナーが笑えば幸せに感じる気持ちと何ら変わりはありません。こればかりは、そういうプレイで、そういうご夫婦とご一緒した事がない方には分からない空気感です。


私もパートナーを他人に委ね、またそういうご夫婦とセックスを共にしてきましたが、全てを晒しあい許し合った夫婦は他人が入り込む余地が無いくらい愛し合っている事を実感しています。何人もの男達の男根によって、その妻の性器を犯し入り込む行為は出来ても、その二人の絆、心に入り込む事は決して出来ない事。
それを目の当たりにしてしまうと、「寝取らせられる男」の寛容さと、愛というものの捉え方の違いを考えさせられます。


これは一片の見方です。

実際、その行為で破綻したカップルも多いですし、もっと端的に肉体的な刺激を求める行為として実践しているご夫婦も多いかもしれません。ただ少なくとも、私が20数年見てきた数百のご夫婦には、揺るがない愛情を感じる事はあっても、「寝取られ」という言葉のイメージから来る” 弱さ ”は全く感じられない訳です。
「寝取られマゾ」
言葉にすれば簡単に表現できそうな性癖ですが、その全てを語るには…それを体験し感じるしかないかもしれません。



束紗。さんのブログではSM視点で語られていますので、それはそれであり得るお話しとして私も知り合いを思い浮かべました。でも片方の多くは、全くそれに当てはまらない人たちですので、それだけは伝えたく今回記事にしてみた次第です。


m-♀も何時の日か、私の目の前で沢山の男性に犯され、感じることでしょう。
しかしどんな男根が m-♀を貫き、その身体を抱きしめても、二人の間に揺るがない信頼と気持ちが無ければ、そもそもそんな行為は出来ない事です。誰に何をされてもいい程度の相手の行為を見ても何も感じません。愛すれば愛するほど、大切であればあるほど、その状況を作り出すサド性癖もあるのかもしれません。


鞭打ち、縛り、蝋燭…それらを使うように他人の男根をアイテムとして使うだけのこと。
死んでしまえば身体は灰になってきえてしまいますが、心は何時までも残る。そう考えれば、「寝取られ」行為自体、何を語るべきものでもないのかもしれません。

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